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青木屋の生い立ち
1.青木屋のはじまり
2.本格的な菓子屋としてのスタートと六社饅頭の由来
3.夏はアイスクリーム屋さん
4.戦前・戦後の日々、青木屋の基盤
1.青木屋のはじまり
 青木屋は明治26年大國魂神社の境内にて茶店の様な団子屋を参拝に来ら

れる人達を対象にして商売をしたのが始まりと聞いています。

加藤という姓なのに何故青木屋というのかと、良く聞かれます。此も大し

た根拠はないのですが、加藤家の本家は立川と谷保の間の青柳という所で

す。そこから府中に出てきまして上記の様に商売を始めるに当たって、

屋号はという事に也、青柳の青を入れて、神社の境内で、けやき並木があ

り、緑の木々がうっそうとしている所から木の字を入れて青木としたと先

人から聞いています。


しばらくの間境内にて商売をしていたが、境内に手の営業活動はまかり成

らないという事になり、泣く泣く他の店と共に青木屋はけやき並木の東馬

場と言う地で開店し、他の店々も甲州街道沿いに移ったりと新天地にて開

店したそうです。

因みに私が子供の頃は大國魂神社を背にしてけやき並木の東側を東馬場、

西側を西馬場という字名でした。旧町名時代の青木屋の本店の地は東京都

北多摩群府中町東馬場9176番地という住所でした。




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2.本格的な菓子屋としてのスタートと六社饅頭の由来
 私の父親は高等小学校を卒業して、府中甲州街道本町交差点の近くの枡

田屋という菓子屋に丁稚として入り修行し青木屋に戻り、其れまでの青木

屋は菓子屋と言っても団子屋程度だったそうです。其れから本格的に菓子

屋としてスタートしたそうです。団子と共に季節菓子草餅、桜餅、柏餅と

言った商品を販売し始め、昭和11年現在販売している六社饅頭この年に

販売開始、六社饅頭という名称は大國魂神社をその昔は六社明神と呼ばれ

ていました。其れは関東武蔵の国の国庁地、国府、府中にて政が執り行わ

れており、現代風に言えば武蔵の国の県庁所在地で六州に分権されていま

した。その六州の総鎮守、其れで武蔵の総社、六社宮、六社明神と呼ばれ

多くの人達から崇敬されています。その六社にあやかって六社という名称

を頂き、六社饅頭を発売した次第です。発売以来今日まで殆ど配合を変え

ることなく作り続けて参りました。平成15年に姉妹品として小振りのミ

ニ六社を発売しました。




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3.夏はアイスクリーム屋さん
昭和12年の年は大変な猛暑の年だったそうで、幸運というのでしょうか

、この年に東京で2台目というアイスクリーム製造プラント、今の貨幣価

値にしたら一億円近い投資でもし売れずに失敗していたら青木屋はなくな

っていたであろうと言うぐらいの一大事業だったと推察されます。


アイスクリームとはと言う時代で、昼夜兼行アイスクリーム、キャンデー

を作り続け、戦後になってからも夏になると菓子が売れなくなり5月から

9月までアイスクリーム屋さんという感じでした。




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4.戦前・戦後の日々、青木屋の基盤
青木屋が一番大変だった時代、其れはなんと言っても昭和17年頃からの

戦中、戦後の時代であったと言えます。

何故かと言いましたらお菓子を作りたくても砂糖を初めとしての材料が統

制されていまして、供給されなくなってきたと言うことです。そんな中の

一時代は寿司屋に転向して、慣れない身で築地の河岸に職人に言われた魚

を仕入れに行き、「鳥賊」と言う所を「トリゾク」と言って怒鳴られたり

で、自分でこしらえるとどうしても鹿の子の様に丸くなってしまって、出

前に行くと飯台の中で転がってしまったと失敗談を話していました。

因みに店名は六社寿司と言いました。


その後、寿司屋も出来なくなってしまった昭和21年埼玉の川越は戦災に

会わず、オモチャ屋が残っていまして、オモチャを仕入れて青木屋はオモ

チャに又又転向、正月の凧や羽子板を初めとして販売をしていましたが、

徐々に統制が解除されてきましたので菓子屋を復活し始め、所がまだまだ

砂糖は自由ではなく枯渇していた。時に蜂蜜が手に入ると言う情報があり

、養蜂家は春に九州から花を追って北上してくる、岐阜辺りに来る頃には

レンゲが咲き良い蜂蜜が収穫されていた、其処に買い付けに行き一斗缶入

の蜂蜜を当時の国鉄の貨車で送り、蜂蜜のまま売れば良かった物を材料と

して用い、饅頭など砂糖の代用としていたそうです。

その時に人工甘味料を使わずに常に本物を使いお菓子を作ってきてくれた

のが今日の青木屋の基盤、信用の基を作ってくれたと思います。


原材料が供給される様になり菓子屋としてやっていけるようになり、昭和

24年のクリスマスに一年分以上のオモチャの在庫整理というのでしょう

、「坊ちゃん、嬢ちゃん、お目が覚めたら青木屋へ。」というキャッチコ

ピーの新聞チラシを入れ、そのオモチャ店の前にて先着順でクリスマスプ

レゼントを早朝より行った。翌年は、打ち上げ花火に引換券を入れて拾っ

て持ってきた人に差し上げる、といった様なこともしたりと、在庫一掃後

も仕入れて続けていたりと、今日の青木屋の基盤を作ったのがこの頃と思

います。




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